「巴里祭」という言葉が日本に誕生したのは、昭和8年。今年がちょうど70周年目にあたり、フランス映画やシャンソンを愛好する者にとっては、記念すべき年である。 日本でフランスの革命記念日、建国記念日の7月14日を「巴里祭」と呼ぶようになったのは、ルネ・クレールの映画「巴里祭」が封切られて以来のことである。それがちょうど昭和8年(1933年)のことであった。 この映画は、貧しいけれども清純な花売り娘とタクシー運転手の若者との可憐な恋の物語である。7月14日の革命記念日を明日に控えてのパリの裏町の光景。踊る人々。ルネ・クレール監督のパリ下町人情ものの代表作であり、背景に流れるモーリス・ジョーベールの主題歌が、また実に情緒があっていい。 ところで、当時この映画を輸入した東和商事は、映画の原題名「14 Juillet」を邦訳するにあたってはたと困ってしまった。文字通り「7月14日」と直訳したのでは、一般にはなんのことかわかってもらえないし、かといって「革命記念日」としたのでは、内務省の映画検閲を通る筈がない。そこで東和商事映画部でいろいろ案を考え、川喜多かしこ夫人に相談したところ、当て字の「巴里祭」にしようということで、題名が決まったのである。 映画「巴里祭」の人気は上々で、その年の外国映画ベストテン第2位になったが、フランス全土の祭日なのに、「巴里祭」とはおかしいではないかという苦情も届けられたという。 こうして「巴里祭」という呼び方は日本全国に拡がっていったが、カフェーなどでも便乗して7月14日に巴里祭が行われるようになり、女給さん達が顧客さんに券を売りつけることが流行するようになったという。またルネ・クレール監督の映画「巴里祭」は、同監督の2年前の作品「巴里の屋根の下」などとともに、わが国の知識人、学生を中心にパリ熱を蔓延させることとなり、フランス映画やシャンソン、さらにはフランス語への関心が高まることとなった。 シャンソンのレコードも、輸入盤を中心に序々に売り出されるようになってきていたが、昭和13年にコロムビアから発売されたレコード・アルバム「シャンソン・ド・パリ」第1集は、予想を上廻る大変な売れ行きを示し、ミスタンゲット、ダミア、リュシエンヌ・ボワイエ、リス・ゴーティ、ジョセフィン・ベーカー、ティノ・ロッシなどの歌手やその歌が、日本でも愛好家の間に広く知られるようになったのである。 ところで、フランス共和国の建国記念日である7月14日を、フランスでは日付けそのまま「ル・カトルズ・ジュイエ(Le Quatorze Juillet)」と呼んでいる。1789年の7月14日、フランス革命がパリ市民の蜂起により起こり、バスティーユ監獄が陥落。4年後にはルイ16世と王妃マリー・アントワネットが、コンコルド広場でギロチンの露と消える。そのフランス革命から90年後の1880年になって、7月14日が共和国建国記念日として国家祝祭日に定められたのである。 イギリスやアメリカでは、7月14日を、「バスティーユ・デイ(Bastille Day)」とそのものずばりに呼んでいるのも、文化の違いが感じられて面白い。「巴里祭」といういい方はいわば日本独特の「文化的発明」とでもいうべきものなのである。 大正14年に萩原朔太郎は、「純情小曲集」の中で、 ふらんすへ行きたしと思へども すらんすはあまりに遠し せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん と歌った。昭和初期の貧しく、厳しい時代に生れたこの「巴里祭」という言葉の中にも、「14 Juillet」というフランス語や、「Bastille Day」という英語にはない、日本人だけがパリという街やフランスの文化に感じている、大事な何物かが内蔵されているのではないだろうか。 |