シャンソンの祭典「パリ祭」ホームページ

石井好子さんとの出会いがシャンソンとの出会い・・・藤中 治

シャンソンコンプレックス

 私にとってシャンソンはコンプレックスを伴った別格だった。少、青年時代を通じて、さすがに純邦楽は敬遠したけれど結構幅広い音楽に親しんだわりにはシャンソンの敷居はどうにも高かった。セレブに輝く近寄りがたい存在感。ラテン、スイング・ジャズ、オペラ・・・内外問わずに楽しんでいたものだが、そのなかにシャンソンが入っていなかったのは、フランスという洒落者は田舎の子どもなんか見向いてくれないと勝手に思い込んだ先入観だったと後で気づいた。むろんテレビもなくレコードを買う金もなく、古いラジオから流れてくる和洋の音楽に耳をそばだててるうちに記憶も溜り、知識も生まれて、好みも細分化、フルバンド、タンゴ、コーラス・・・などと小生意気な学習が続いたのは、その時代なら別にえらくも珍しい話でもあるまい。高英男さん「雪の降る町を」やフランク永井さん「公園の手品師」といったシャンソン風流行歌が「ラジオ歌謡」という歌番組から生まれて楽しかった出会いを今も憶えてはいても、まだまだシャンソンの敷居を踏破するにはいたらず、気持ちはいつも日本系、アメリカ系が継続していた。

 昭和40年代に入って音楽記者になったけれど、シャンソンへの妙な偏見は意識下にあって自分でも困ったものだとさえ思っていた。もっとも、いやだったのでも嫌いだったわけでもなく、他のジャンルの音楽人、ステージなどと同じようにお付き合いしていたけれど、やっぱり敷居や垣根がどこかに残っていた、きっと眩しかったのだろう。後で思えばその眩しさは自分で作りあげ、目を閉じていたに過ぎなかったのだが。

石井好子さんとの出会い

 「石井好子宅でパーティーを開きます」と石井事務所の方からお誘いを受けたのは記者になって少し経ってからのころ。むろん石井さんとは仕事で何度かお目にかかっていたけれど、代議士の令嬢で日本を代表するシャンソン歌手。直立不動はオーバーにしても、それに近い取材だった。しかし石井さんは決して恐くはなかった。貫禄とは正反対に丁寧に快くインタビューに応じて下さった。だからたとえ敷居の高さが石井宅の玄関と同じでも、こわごわお邪魔することにしたのである。品川・高輪のお宅は確かに清閑ではあったけれども、住人の心そのままの暖かさに満ちていた。参加したのは10人前後の記者たちと事務所のスタッフ。貧乏青年、貧乏記者にとっては本来身じろぐ場面だが、経験したことのない至福で甘美な時間と空間が厚かましくもそんな感情を吹き飛ばしていた。時には分教場の校長先生の慈しみと時には女親分の凄みの間で深く豊かな石井さんの人間味はカリスマの化身に見えた。

 私のなかで大きな変化がおこったのはこの石井パーティーがきっかけだった。あんなに意識した敷居を知らぬ間に跨いでいたのである。パーティーの楽しさで心が動いたといわれれば何とも卑しい気もするが、これは一つの出会いである。石井さんとの出会いがシャンソンとの出会いとなり、それがパリ祭で形になった。

シャンソンのお祭り「パリ祭」

 パリ祭は昭和38年7月14日に始まった。会場は東京・日比谷公園大音楽堂、現在は日比谷野外音楽堂と呼ばれている。昭和8年の人気外国映画2位を占めたルネ・クレール監督の「巴里祭」はそれから30年後、シャンソンのお祭り「パリ祭」として再登場したわけである。石井好子さん、深緑夏代さんを筆頭にシャンソン歌手が勢揃い。司会がE・H・エリック、その後は藤村有弘、演奏は寺島尚彦とリズム・シャンソネット・・・。「凄かったのよ。日比谷の野音はもう人でいっぱい。木に登っている人、ステージにしがみついている人。こんなにシャンソンの好きな人たちがいたなんて、本当に驚きました」主催者であり、ただ一人の全44回連続出場歌手石井さんは当時を思い出してこういわれた。

 フランス解放がベースにあるからかどうかわからないが、パリ祭の精神には自由から生まれる喜びが軸になって見えた。10回あまりしか聴いていないので生意気なことはいえないが、近代的な華やかさにどこか厳格な規律や品性があって両者が交差、優雅な楽しさ伴って客席に届いてくる。フランス製音楽 ―くくりがシャンソンでも、愛や平和、時には死さえテーマにしたさまざまが歌にあって、私たちはそこに深い人生を感じることが出来た。それはどこの国だって同じだろうといわれればそれまでだが、これほどまでに強く、そして美しいキャラクターを持つ音楽は世界の一級品だということを、ステージを眺めながらかんじたものである。

 「シャンソン」を日本語に訳すとフランス小唄、フランス艶歌だが、シャンソンと最初に名乗って歌ったのは、昭和23年7月14日、毎日ホールでリサイタルを開いた私だと昨年のプログラムの巻頭で石井さんはいわれている。それぞれの音楽にはそれなりの由来もあろうと思うが、このご挨拶を見た私にはまさに目から鱗の思いだった。敷居の高さを抱き続けたシャンソン、そしてその後、敷居を跨がせて下さった命名者。石井さんにお会いしていなければシャンソンはいつまでも敷居の向こうできらびやかに輝いているだけの存在だっただろう。改めてうれしく、有り難いご縁だと思っている。

(音楽評論家)

「第44回パリ祭」プログラムより

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