パリ祭は昭和38年7月14日に始まった。会場は東京・日比谷公園大音楽堂、現在は日比谷野外音楽堂と呼ばれている。昭和8年の人気外国映画2位を占めたルネ・クレール監督の「巴里祭」はそれから30年後、シャンソンのお祭り「パリ祭」として再登場したわけである。石井好子さん、深緑夏代さんを筆頭にシャンソン歌手が勢揃い。司会がE・H・エリック、その後は藤村有弘、演奏は寺島尚彦とリズム・シャンソネット・・・。「凄かったのよ。日比谷の野音はもう人でいっぱい。木に登っている人、ステージにしがみついている人。こんなにシャンソンの好きな人たちがいたなんて、本当に驚きました」主催者であり、ただ一人の全44回連続出場歌手石井さんは当時を思い出してこういわれた。 フランス解放がベースにあるからかどうかわからないが、パリ祭の精神には自由から生まれる喜びが軸になって見えた。10回あまりしか聴いていないので生意気なことはいえないが、近代的な華やかさにどこか厳格な規律や品性があって両者が交差、優雅な楽しさ伴って客席に届いてくる。フランス製音楽 ―くくりがシャンソンでも、愛や平和、時には死さえテーマにしたさまざまが歌にあって、私たちはそこに深い人生を感じることが出来た。それはどこの国だって同じだろうといわれればそれまでだが、これほどまでに強く、そして美しいキャラクターを持つ音楽は世界の一級品だということを、ステージを眺めながらかんじたものである。 「シャンソン」を日本語に訳すとフランス小唄、フランス艶歌だが、シャンソンと最初に名乗って歌ったのは、昭和23年7月14日、毎日ホールでリサイタルを開いた私だと昨年のプログラムの巻頭で石井さんはいわれている。それぞれの音楽にはそれなりの由来もあろうと思うが、このご挨拶を見た私にはまさに目から鱗の思いだった。敷居の高さを抱き続けたシャンソン、そしてその後、敷居を跨がせて下さった命名者。石井さんにお会いしていなければシャンソンはいつまでも敷居の向こうできらびやかに輝いているだけの存在だっただろう。改めてうれしく、有り難いご縁だと思っている。
(音楽評論家) 「第44回パリ祭」プログラムより |